危うさって美しさ、愛しさ

自分より価値のない人、結構いると思っていて。

でもその人たちより自分のほうが生きる価値は無いと思う。

 

今のところ人生はy軸が0のまま底辺を這っていて、揺り戻しはいつか来ると思い込むことで、命を繋いでいる。なんとかしてくれ、誰か。

 

 

この21年は、いたいけな少年に色々な物事を諦めさせ、生を苦行にするには十分な年月であったと思う。眠りにつくとき、このまま目覚めなければいいな。と思ったことが、目が覚めたらしがらみが全て、要因となる人物が全員、死んでたらいいな。と思った夜が、報われる日はまだ来ない。その時をじっと息を殺して、自分を押し殺して、待っている。

 

当然、人生が楽しいと思える人が生きるべき。

だから、僕は自分以外の誰かのために死にたいと思う。それがたとえ何の価値もないカスみたいな人間でもいいと思う。生きることが楽しいなら。

人としての価値と生きる価値は違って、今日、明日が苦痛な人に生きる理由はない。

 

人の気持ちを一切考えていない人間が、人の死を悔やむ。

何様のつもり?越権行為。

例えば、僕の中身がこんなであることを知らない人に僕の死を悔やまれたくない。

わかったつもりでいただけ、ざまあみろと思う。 

 

「死ぬくらいなら逃げだせば良い」は他人事でないと言えない。

人は脆い。

 

とはいえ、いつかこの日々が報われる日を期待して、もうちょっと生きてみる。

 

いつか、いつか。